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MY VISION
テニスで幸せにする。
- 神戸名谷校
ハイレベルな環境に飛び込み、食らいつく。
3人姉妹の真ん中で、自由奔放な幼少期を過ごしました。口数は少なかったそうですが、そのぶん行動的でいつも周りの大人が手を焼いていたそうです。小さい頃からよく家族でディスニーランドへ遊びに行っていたので、ディズニーキャラクターや音楽に囲まれて大きくなりました。テニスをはじめたのは、中学の部活がきっかけ。本当は卓球部と迷っていたのですが、入部届けを提出する日に体調を崩してしまったため、友人が「平田さんはソフトテニス部に入ると思います」と先生に伝えたのが、テニス人生のはじまりです(笑)。顧問の先生はとても厳しく、ハードな部活でしたが、負けず嫌いな一面もありなんとか食らいついていきました。高校に進学する時、母の勧めで硬式テニスに移行することに。「生涯スポーツになる」というのは魅力的でしたね。そして、全国大会に出場していた強豪校に一般受験で飛び込み、無事合格。しかし、部活ではスポーツ推薦の学生ばかりが活躍しており、心が折れそうにもなりました。それでもあきらめたくなかった私は、部活とは別に地元のテニス教室にも練習後に通い、徐々にレベルを上げていくことができました。高校最後の全国選抜では補欠に選んでいただき、試合にも出場。テニス漬けの高校生活でしたが、残ったのは「自分の力で全国に行きたい!」という気持ち。大学でもテニスを続けることを選びました。
テニスを仕事にすることで、恩返しを。
大学では、本気で全国インカレ出場を目指していたので、この時も部活に所属しながら地元のテニス教室での一対一のレッスンを続けていました。その結果、全国インカレには3年連続で出場。北信越エリアでは準優勝を収めることができ、私の選手としてのテニス生活は一度、幕を閉じました。就職活動では、好きなことを仕事にしたいと考えていました。だから、テニスかディズニーのどちらを仕事にするか悩みましたね。だた私は、テニスを趣味で続けてきたつもりはありません。どこかの会社に就職して、休日趣味としてテニスをするというイメージはどうしてもできませんでした。ここまで頑張ってきたテニスを仕事にする方が、きっと自分も毎日楽しく仕事ができると考え、ノアでの就職を決意。この決断が、親への恩返しにもなると考えていました。というのも、私のテニス生活をずっと支えてくれたのは両親だから。一番近くで一緒に走ってきてくれた親に、テニスを通じて自分の成長を知ってもらい、様々な形で感謝を届けたいと考えていたのです。実際、この選択を両親も喜んでくれました。
ノアでなら「好き」を仕事にできる。
ノアに入社して、私は大きく変わりました。ノアでは「自分に矢印を向ける」ということを大切にしています。それは、何事も当事者意識を忘れないということなのですが、入社当時の私は、それがとても苦手でした。自分のことを棚にあげたり、相手のアクションに任せっぱなしで、自分から誰かに歩み寄ろうとしなかったり。そのためか、周りの人からの小さな好意や気遣いにもなかなか気づけず、孤独を感じることも。まるで悲劇のヒロインのような気持ちで、仕事が嫌になる日もありました。しかし、好きなテニスを仕事にした意味はなんだったのか、親への恩返しはどうなったのか、それを自問した結果、自分が変わらなければならないと気づいたのです。今では、仲間とのコミュニケーションも増え、気持ちよく働くことができています。現在はチーフコーチとして、今度は後輩やアルバイトのスタッフを育てる機会が多くあり、後輩がもがいている姿を目にすることもあります。自分が仕事に悩んでいたあの時、変化の機会をくれたノアにはとても感謝しています。今後の目標は、ノアをお客様にとってのテーマパークのような場所にすること。ノアに来たお客様が、テニスを通じて幸せな気持ちになっていただけるように。私たちは、コーチというよりもキャストとして、お客様にできることはなんでもして差し上げたいですし、一緒に楽しみながらノアという空間を作っていきたいと思います。好きなことを仕事にしながら、好きなことを仕事に取り入れる。そんなふうに仕事を楽しむことも、ノアでならできるのだと思います。